サッカーライターの賀川浩さんはバロンドール受賞、日本サッカー殿堂入りされ99歳の今でも現役で活躍されている偉大な方ですが、実は枚方FCの初代副会長さんです。
枚方フットボールクラブは1969年に開成サッカースポーツ少年団としてスタートし、香里ケ丘スポーツ少年団を経て1973年に枚方フットボールクラブとなりました。当時グラウンドをお借りしていたフジタ工業・大阪支店長の古賀文之介さんを会長、賀川副会長、顧問には大谷四郎さん(朝日新聞)、加藤正信ドクター(神戸FC・現日本クラブユースサッカー連盟加藤寛会長の父上)といった皆さんのお力を受けてそれなりの団体となりました。今の人にはわからないと思いますが当時はクラブチームの公式戦もなく、学校関係者からは存在自体が悪のように扱われてた時代、賀川さんたちのお蔭で少し存在が認識され、クラブユース連盟を前身となる組織を立ち上げ下さり、それが大町での第一回クラブユース選手権につながります。
1期生が小学6年生の時に兵庫少年サッカー大会に県外のチームなのに超法規的措置で参加させていただき優勝。その試合を観戦した賀川浩さんの兄の賀川太郎さんが感動したことをサッカーマガジンに紹介してくださったのが賀川浩さんでした。あの記事がなければ枚方フットボールクラブが世間で知られることもなかったでしょう。
クラブ黎明期のこと、先達がつくってきてくれた歴史を今のクラブメンバーや後輩たちに機会あれば語り継いでいきたいと思います。ワシらはこれから100年以上続くであろうこのクラブの歴史のほんの一コマに関わっているだけですから。
2024.8.26
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